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鈴ヶ森刑場跡は心霊スポットで近くのマンションは危険?八百屋お七の伝説とは?|東京都品川

東京都心には、現代からは想像もつかない様な心霊スポットが存在します。「鈴ヶ森刑場跡」もそういった心霊スポットの一つです。遠い歴史の中では、悲惨な事が繰り返された場所なのです。「鈴ヶ森刑場跡」を実際に訪れてみると、興味本位では語れない歴史を感じる事でしょう。

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目次

鈴ヶ森刑場跡はどんな場所?

東京の心霊スポットの一つとされる「鈴ヶ森刑場跡」。近くには大井競馬場もあり、活気がある土地でもあります。一方で、この周辺は、血塗られた歴史を持つ凄惨な場所でした。現代では想像がつかないような凄惨な刑罰を受けた人々が沢山いたのです。ここから、東京の遺跡「鈴ヶ森刑場跡」の秘密に潜入していきます。

鈴森山大経寺

東京遺跡「鈴ヶ森刑場跡」を語る上で、「鈴森山大経寺」を語らない訳にはいきません。「鈴ヶ森刑場跡」は、「鈴森山大経寺」のすぐそばに有ります。

元々「鈴ヶ森刑場」が出来た前後に、お堂を作ったのが始まりと言われています。その後刑場の隣に百姓の小屋を作り、小じんまりと本尊を安置して受刑者の魂を祀ったと言われています。そうした流れで今の「鈴森山大経寺」に繋がっています。

東京都指定史跡として残されている

東京遺跡「鈴ヶ森刑場跡」は心霊スポットとも言われていますが、歴史的にも重要な場所として東京都の史跡になっています。楽しむ為のスポットではなく、東京の心霊スポットとして名が上がる様な場所です。

歴史的にも大変意味のある場所となっています。怖い物見たさで心霊スポットに興味のある方も、遺跡に興味のある方にも訪れて頂きたい場所です。江戸時代壮絶な亡くなり方をした人がこの地に居た事、中には無実の罪で拷問を受けた方もいたでしょう。

江戸時代に罪びとが残虐な拷問で命を絶った場所、と聞いただけで恐ろしく感じる方もおられるでしょう。、罪を犯したのだから仕方がない、と言ってしまえばそれまでです。でも様々な思いを持ちながら、亡くなって行った人もいると思います。近くへ行かれた方は史跡に立ち寄って、亡くなった人に手を合わせてみるのも良いのではないでしょうか。

鈴ヶ森刑場跡の歴史的な遺跡

東京「鈴ヶ森刑場跡」は史跡に指定されていると言いましたが、その場には目に見える遺跡も観る事が出来ます。その場で昔何が行われていたのか、残虐な拷問を受けて亡くなった人々が沢山いた事が分かる遺跡が残っています。

「鈴ヶ森刑場」では江戸時代、罪びとを人の往来で残虐な方法で処刑していた事が歴史の上で分かっています。その処刑方法は火炙りや、槍で何度も突き刺して死に至らせる残酷なやり方でした。その様な光景を想像出来る遺跡が今も残っているのです。

火炙台・磔台

画像:flickr

当時の処刑の中でも最も残酷と言われる火炙りの刑と磔の刑、その時に使われた火炙台と磔台が遺跡として「鈴ヶ森刑場跡」に残っています。この刑を執行したのは、「鈴ヶ森刑場」だけだと言われています。

火炙台に磔にされ足からじわじわと炙られ続け、その煙で窒息して亡くなったそうです。どれ程残虐だったのか、この話しからも想像がつきます。其の様な場所に身を置く事自体相当気が滅入るのですが、静かに手合わせて処刑を受けた人々の鎮魂をしたいものです。

首洗いの井戸

画像:flickr

東京史跡「鈴ヶ森刑場跡」には火炙台や磔台と共に、井戸も残されています。井戸と言えば、心霊スポットにはよく登場します。ここにある井戸は「首洗いの井戸」と呼ばれ、処刑した罪人の首を洗った井戸とされています。

罪人の首を洗っただけではなく、処刑をする側の人間も返り血を浴びそれをこの井戸水で洗ったとされています。井戸の中は覗けない様に蓋がされていますが、遠い歴史の中でこの井戸がそういった形で使われていたと思って見るだけでも背筋が凍り付きそうです。

鈴ヶ森刑場跡は心霊スポット?

都会の中の心霊スポットとして、実際に訪れる方もおられる様です。1651年から約220年間処刑場として使われており、処刑された人数は延べ約10万人から20万人と言われています。

それ程の人が残虐な方法で処刑されたとなると、心霊現象が起きてもおかしくないでしょう。当時火炙りの刑にされた罪人の悲痛な叫び声が、はるか遠くまで響いていたと言われています。深夜に一人で訪れたりすると、叫び声が聞こえて来そうです。

実際に訪れた人の話では、すぐ側を道路が走り列車も通る様な場所なのにその場だけ異様に静かな雰囲気がしたそうです。そして芸能人の方が撮影で井戸の中に潜入して、意識不明になったと言うエピソードもある様です。あまり深夜に一人で訪れたりしない方が無難な、心霊スポットである事は間違いなさそうです。

鈴ヶ森刑場跡の八百屋お七の伝説

この江戸の刑場には、悲しい伝説も残されています。「八百屋お七の伝説」と聞けば、一度位は耳にした事がある方も多いのではないでしょうか。悲しい昔話として、現代に伝わっています。

「八百屋お七の伝説」は、いくつか違った形で伝わっている様です。井原西鶴の「好色五人女」に取り上げられてからは、歌舞伎や浄瑠璃そして現代でも演劇で演じられています。では「八百屋お七の伝説」に付いて、ご紹介して行きましょう。

八百屋お七の物語(概略)

八百屋お七の物語は、幾つか、伝説がある様です。お七は放火犯で火炙りの刑に処された女性とも云われていますが、そのバックグランドにはもう少しストーリーがあります。

お七は江戸時代の前期に、江戸で八百屋を商う両親の元で育った娘でした。江戸では天和2年の12月28日に、大火に見舞われました。当時約3500人余りが、大火で被害に遭ったそうです。八百屋お七の家族も、被害に遭い焼け出されました。

そして、あるお寺に家族で避難したのです。お寺に付いては諸説あって、「正仙院」とも云われています。そしてお七は親切にしてくれるお寺の和尚さんに、段々と惹かれて行ったのです。生活が整い家族でお寺を離れてからも、次第にお七は和尚さんへの思いが募って行ったそうです。そしてある考えが、お七の脳裏に浮かびました。

その考えというのが、火事を起こせば再び恋焦がれる和尚さんの元へ行けると言う考えです。そしてお七はぼやを起こし、囚われの身となってしまいました。江戸の大火はお七が起こした火事ではなかったのですが、このぼやで火炙りの刑になってしまいました。

儚くも悲しい恋の物語とも言える、「八百屋お七の物語」とは大体こういうストーリーとなっています。お七が江戸で当時もっとも悲惨な処刑法と言われる火炙りの刑に処された事は、様々な言い伝えと伝説になって後の世迄語り継がれ演じられているのです。

お七が火炙りにされた場所

八百屋お七が火炙りの刑に処されたのが、今の東京「鈴ヶ森刑場跡」になるのです。当時もっとも残酷な刑とされる火炙りの刑とは、火炙り台に磔になり足の下からゆっくりと火に炙られる刑です。

一瞬に焼き殺されるのとは違い、長時間苦しむ事になります。お七の苦しみ叫ぶ声は、はるか遠くまで響き渡ったとされています。当時江戸では地方から江戸へ入って来る人々に、罪を犯すとどんな事になるかを見せしめる為に公開で処刑をしていました。

最も人の目に触れる場所で処刑していました。今では歴史の一つ、遺跡となって保存されています。東海道添いの江戸の入り口、多くの人々が往来する場所で処刑が行われたのには理由もあります。これから江戸に入る人々に壮絶な刑を見せる事によって、江戸の町を犯罪から守る目的もあったとされています。冤罪が無かった事を、心から願います。

鈴ヶ森刑場跡はどこにある?アクセス情報

東京遺跡「鈴ヶ森刑場跡」は東京都品川区の大井競馬場と、川を挟んだ反対側にあります。江戸時代には南の入り口、東海道添いに「鈴ヶ森刑場」はありました。当時北の入り口、日光街道には小塚原刑場もありました。

今では都道15号線と京急本線がすぐそばを通り、賑やかな場所に位置しています。「立会川駅」と「大森海岸駅」の丁度中間地点辺りにあります。周辺は競馬場や水族館等もあり、心霊スポットと言うイメージは結び付かない場所にあります。

「鈴ヶ森刑場後」の最寄り駅は京急線「大森海岸駅」、駅からは歩いて約7分で行く事が出来ます。JR「品川駅」から、京急線への乗り換えが必要です。

「大森海岸駅」からは北方向へ路線に沿って歩いて行くと、案内板が立っていますのですぐに分かると思います。「鈴森山大経寺」を目指して行かれても良いかも知れません。分かり易いので迷う事はないと思います。

住所 東京都品川区南大井2-7-3