東京には住んではいけないといわれる土地というのが存在します。例えば、処刑場跡や周辺、墓地近く、旧地名に危険な漢字が入るなどの土地です。
そのような土地の場合、通勤アクセスがよく買い物も便利な地域でも、家賃相場が手頃な傾向があります。土地の足りない都会において、相場より家賃が低い場合には、その土地について知っておく方がいいです。
その土地が良い場所なのか、過去の土地の歴史、言い伝えなどを調べてみると紐解ける場合があります。本記事では、東京の住んではいけない土地を紹介致します。
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住んではいけない地域まとめ!東京23区の中でよくない土地はどこ?
エリアごとに住んではいけない理由などを解説します。場所によっては住むに適した場所もありますが、ここではよくない理由に注目してまとめています。ぜひ、参考にしてみてください。
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東京23区内のエリア
東京の住んではいけないエリアの中でも23区内のエリアをご紹介します。
鶯谷
鶯谷の南口には、寛永寺霊園がすぐ近くにあります。そして反対の北口一帯はすぐにラブホテル街になっています。山手線エリアの中でも1日の乗降客数が少ない駅となります。
また、住所で「根岸」という漢字が使われているエリアがありますが、根岸の由来は、ネ(嶺)と、キシ(岸、崖)から来ているそうで、水害や災害には注意が必要な土地といえそうです。
しかし、過去の土地の歴史をみると、根岸の里とか初音の里とか呼ばれ、文人墨客が居住していたとされる優雅な土地だった可能性があります。
また、鶯谷の地名の由来には諸説ありますが、霊梅院付近の谷に鳥のウグイスが棲みついていたことから、鶯谷と呼ばれるようになったそうです。
鶯谷に住んではいけない理由
- 北口一帯はすぐにラブホテル街
- 大きな霊園がすぐ側にある
- 谷底、低湿地の土地
上野・入谷
上野という地名の由来は所説ありますが、伊賀上野の大名・藤堂高虎の屋敷があったことから名付けられたとされます。
そして、上野駅はターミナル駅ですが、過去に上野戦争の戦場だったこともあり、大量の人骨が発見されています。現在は供養されていますが、その前は工事作業員の事故が頻繁に起こっていたそうです。そのため、上野駅周辺はよくない土地というのがわかります。
また、台東区入谷は、災害地名「谷」が入る通り、もともと谷底、低湿地でした。さらに、台東区といえば、日本三大ドヤ街とされる「山谷」があります。
上野・入谷に住んではいけない理由
- 根岸が災害地名で低湿地、谷底。
- 日本三大ドヤ街である山谷がある。
- 上野駅周辺から多くの人骨が見つかった。
御徒町
御徒(おかち)」とは馬に乗ることが許されない下級武士を指し、実際にこの周辺は下級武士の屋敷が多かった場所です。
現在は、御徒町と仲御徒町の間は飲み屋と宝石の街でとして有名ですが、貴金属店を襲った強盗事件などが発生するなど治安がそこまでよくないとされています。
江戸時代の下級武士は、生活費を稼ぐため必死だったといわれることから、その土地に住むことで自然と運気が下がる可能性もあります。
御徒町に住んではいけない理由
- 下級武士の屋敷が多かった場所
- 飲み屋と宝石の街で事件が多い傾向
秋葉原
秋葉原は明治初頭に火災が頻発した地域。それがわかるかのように、鎮火原という地名が使われていました。江戸時代より、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉が残る通り、火災が頻繁に発生した地域です。
さらに、1869年(明治2年)には、建物約1,100戸を燃やす大火が発生し、秋葉原周辺は甚大な被害を受けた歴史があります。その後、火災を鎮めるため、秋葉神社が建立され、現在の秋葉原の地名の由来にもなったとされます。
また、今の電気街がある周辺は、下級武士が多く住んでいた土地とされており、火事と喧嘩が頻発した地域だったそうです。秋葉原で事件が多いのも、地名の由来を辿ってみると想像ができます。
秋葉原に住んではいけない理由
- 鎮火原という火を連想する地名がついていた。
- 下級武士が多い地域だった。
渋谷
渋谷の「渋」という漢字には「滞る」という意味合いがあるそうで、渋谷は文字どおり「とどこおった谷」の地域です。
「谷」は災害地名として有名ですが、渋谷は過去に豪雨の被害がある水害の地域でした。
2015年以降に、貯水館を設けて洪水対策をしたことで、現在は水害のイメージがなくなりつつありますが、もともと、渋谷はよくない土地といわれます。その理由に、渋谷の道玄坂周辺は山賊が出没する危険地帯といわれていた歴史があります。また、センター街などは邪気が多く、欲望が滞る場所ともいわれ、人々の澱んだ気の流れが漂っているともいわれます。
実際に渋谷で2025年に飛び降りが起こったり、直近でも事故や事件が起こっています。谷地で悪い気が滞ってしまう土地なので、注意が必要です。
一方で、渋谷もエリアが広く、セレブが多いとされる松濤周辺や、運気が上がると噂の代々木上原などは、良い気の流れが通っているエリアともいわれます。
渋谷に住んではいけない理由
- 渋谷は谷地で悪い気が滞ってしまうとされる。
- 道玄坂は山賊が出没するエリアと記録がある。
新宿
新宿は広いので、場所によって良し悪しがあるといわれます。まず、西新宿周辺ですが、昔は、浄水場があった土地です。埋立地であったため、地盤はよくないとされます。
現在は、西新宿といえばタワーマンションなどの高層ビルが立ち並びますが、地盤がよくないとされるため、人が住む場所ではないといわれていた歴史があります。そのような土地の歴史がよくない場所は、風水などでもよくないといわれるため、注意が必要です。
そして、新宿の東側をみると土地の由来がわかります。江戸時代に「甲州街道」の宿場町として「内藤新宿」が開かれたのが新宿の由来になっているそうです。新宿という地名にある通り、もともとは宿場町なのです。特に、新宿一丁目〜三丁目周辺は、「内藤新宿」の中心地でした。
さらに、新宿といえば歌舞伎町ですが、歌舞伎町1丁目と2丁目の境目の花道通りに、古地図をみると蟹川という川が流れていましたが、昭和初期に埋め立てられました。また、近くの大久保が地名で大きい「窪」と名付けられたのも蟹川が由来しているそうです。
新宿に住んではいけない理由
- 新宿駅の東側には闇市があった。
- 西新宿周辺は浄水場だった歴史がある。
- 歌舞伎町には蟹川という川が流れていた。
新大久保
コリアンタウンとして知名度ある新大久保ですが、水がたまる窪地を意味する「窪」の漢字を久保という字にしている地名といわれます。元々、窪の意味する土地は「窪んでいる場所」に名付けられることが多く、心が荒む場所で運気が下がると言われています。
外国人が多いということもありますが、実際に事故や事件も多いそうで、住むには適していないエリアといわれます。ただし、治安や土地の歴史など気にしない場合であれば、飲食店が多く交通も栄えているので、便利だとは思います。
新大久保に住んではいけない理由
- 新大久保は窪地を意味する「窪」の漢字。
- 韓国系の宗教団体が密集している。
目黒
東京の目黒区上目黒四丁目には、地名で蛇崩(じゃくずれ)という場所があります。蛇崩はやばいなどと聞いたことはありませんか。現在は住居表示の変更により正式な地名としては消滅してますが、交差点名や公園名としてその名残をとどめている場所です。この周辺には、蛇崩川と呼ばれる川が流れていて、現在は暗渠化されて緑道として整備されている
蛇崩の地名の由来には2つありますが、一つは、江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」で、「昔、大水の際、崩れた崖から大蛇が出たことからこの地名が生まれた」と記されています。
二つ目は、川が大雨で増水し激流がまるで蛇がのたうち回るように見えたことから「蛇崩」と名付けられたとも言われています。さらに、砂崩(さくずれ)が転じて「じゃくずれ」となり、川の蛇行する様子から「蛇崩」の字を当てたとの説も存在します。
この地名が注目される理由は、「蛇」という文字が持つ印象に起因します。「蛇」という地名の多くは災害を示す地名であり、全国的にも「蛇」が地名に入っている地域は危険とされるためです。
大蛇が崖から現れるという伝説や川の氾濫による被害を想起さぜる名称は人々に恐怖や敬の念を抱かせます。実際に、「蛇崩」という地名は過去に土砂災害が頻発した地域であることを示唆しているようです。
目黒に住んではいけない理由
- 新編武蔵風土記稿では崩れた崖から大蛇が出たとされる。
- 「蛇」が地名に入っていると危険な土地の可能性あり。
- 蛇崩といういかにも崩壊しそうな地名がなにかを示している。
池袋
池袋の地名の由来には諸説ありますが、現在の池袋駅西口周辺に存在した袋状の池「袋池=丸池」に由来するとされています。丸池は、かつて農業用水として利用されていた該巻川の水源であり1970年代中頃まで存在していましたが、現在は埋め立てられ、跡地に「元池袋史跡公園」が整備されたといわれています。
しかし、幕末に書かれた新編武蔵風土記稿という書物によると、「袋池」があった可能性が高いのは、池袋氷川神社、池袋本町三丁目付近の地形が窪地になっているエリアだという情報があり、今ではこの情報の方が有力です。
つまり、現在の池袋駅周辺は「袋状の池」には無縁とされる説です。さらに、戦国時代の古文書「小田原衆所領役帳」(永禄2年・1559年)に「池袋」の地名がすでにあり、中世には地名が確立していたとも考えられています。
そして、池袋に住んではいけないといわれる理由には、様々ありますが、ざっくりいえば、今までの土地の歴史がよくないためです。池袋西口周辺では、戦後に闇市が発展したり、池袋東口の左手線路沿いには四面塔と呼ばれる供養塔があったり、そして、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)が、現在のサンシャイン池袋の地にあったことなど、元々暗い土地だった歴史が関係しています。
そんな池袋ですが、実は池袋駅周辺は東京23区の中でも、標高が高い約32.34mの高台に位置しています。通常、高台に「池」の地名がつくことは稀で低湿地とはいえない土地なのです。池袋という地名から、多くの人が誤解している可能性がありますが、水害や災害という意味では以外にも安全な可能性が他のエリアよりも高いのです。
つまり、下記の池袋に住んではいけない理由を除けば意外にも住むのに適したエリアかもしれません。
池袋に住んではいけない理由
- 巣鴨拘置所が東池袋にあった。
- 池袋西口は闇市が発展。
- 供養塔である四面塔の存在。
- 首に関する事件が多い。
大塚
大塚には、江戸時代に徳川幕府や諸藩に仕えた儒学者らを埋葬した「大塚先儒墓所」がありますが、駅名である「大塚」の由来ではないそうです。
実際には、茗荷谷駅近くにある大塚跡の史跡に書かれている内容が参考になり、大塚の「塚」は古墳や、櫓、一里塚などを示すといわれます。大塚という名称から大きな塚を連想しますが、実際は、古墳(あるいはやぐら台の跡ともいわれる)という説が有力だそうです。
本来、「塚」がつく地名はお墓などがあった土地の可能性が高く、大塚周辺には住みたくないという人もいるようですが、昔の古地図をみる限り、大塚駅周辺は谷端川が流れているだけで、他はなにもないような土地でした。
現在では、大塚駅周辺の再開発により、星野リゾート OMO5 東京大塚などが建設されるなど、魅力的な街になっているように思えます。ですが、大塚駅近くは谷底のように水が溜まる土地なので、風水的にはよくないともいえます。
大塚に住んではいけない理由
今回、調べてみた限り「大塚に住んではいけない理由」はお墓以外には特に見当たりません。駅周辺でみた場合、過去の土地の履歴がなにもない所も多く、可もなく不可もなくといった印象です。
巣鴨
巣鴨は、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りがあります。かつては、旧中山道であり、江戸の中期から現在まで、商業や信仰の場として栄えていた場所です。
現在は池袋の方が栄えていますが、かつては巣鴨の方が都会だった歴史があります。巣鴨がよくない土地といわれる背景には、やはり巣鴨プリズンの存在があります。
ですが、「駒込駅~巣鴨駅~大塚駅~池袋駅」は全部が「巣鴨」という地名で、実際に巣鴨プリズンがあったのは現在の東池袋です。巣鴨駅周辺からはだいぶ離れています。実際は、巣鴨には巣鴨プリズンなかったのです。
土地の歴史としても悪くなく、巣鴨は昔は栄えていたことから住むには悪くない土地ともいえます。一方で、水害地名といわれる漢字が使われているため低湿地で水害には注意が必要です。
巣鴨に住んではいけない理由
- 低湿地を表す漢字「スガ・スゲ」と言う字
- 池が埋め立てられた再開発エリアの土地。
日暮里
日暮里の地名の由来として、新開拓地を意味する「新堀 (にいぼり)」だといわれています。「堀」の字は地盤が緩い土地につけられる漢字です。ですが、歴史を辿ると日暮里は高台が多いことでも有名だったため、相反しているようにも思えます。
堀が多かったのは、獣や外的への防御策として新しい堀をたくさん作ったので新堀となったとされます。そして、日暮里は、一日中暮らしていても飽きない里「ひぐらしのさと」から「にっぽり」と呼ばれるようになったといわれます。
また、日暮里は荒川区に位置していますが、荒川が氾濫する川として有名でした。現在では川の氾濫は稀ですが、荒川区全体が危険な水害地域としてよく挙げられます。
一方、高台に位置する場所であれば水害の危険も低くて逆にいい土地なのではないかとも思います。特に、荒川区西日暮里4丁目付近は土地としてもおすすめ。
日暮里に住んではいけない理由
- 住む場所の土地が低地ではなく高台であればよし。
葛飾区
葛飾区が江戸川、中川、荒川に囲まれているため、地震時の危険度が高い。
例えば、柴又の「柴」は水害を表す漢字。洪水時に冠水する。他にも、亀有など「噛メ」という漢字から由来した災害地名がついているため、水害・崩壊のリスクがあるとされる地域です。
さらに、葛飾区の常磐線亀有駅周辺や、東端の中川沿い以外の多くの地域が海抜ゼロメートルで川の氾濫に注意が必要なエリア。加えて、葛飾区の地盤は全体的に弱く、地震にも弱いとされます。
- 葛飾区は海抜ゼロメートルの低い地帯が多い。
- 葛飾区の地盤は全体的に弱い。
田端
田端の地名の由来は「田の端」に集落があったことからきています。
もともと山の手と下町の境界に位置する「端」の駅でした。そして、田端はなぜか住みたくない地域といわれますが、それは坂道が多く、通勤や通学でストレスになるからといわれています。
つまり、標高差がある土地なのです。田畑というように田んぼ、この地域に田や畑が多かったことを指しています。
田端に住んではいけない理由
- 標高差がある土地
市ヶ谷
地名に「谷」が含まれているのは、地形的に水が集まりやすい場所なので、市ヶ谷もそれにあたります。実際に、24年8月23日の集中豪雨で市ヶ谷は大きな被害を受けた地域です。出入り口の階段から大量の雨水が流れ込み、構内まで浸水するほどでしたので、災害地名が示す通りの被害です。
市ヶ谷に住んではいけない理由
- 市ヶ谷は災害地名「谷」の典型。
麹町
麹町は皇居の近くのため、いい土地に思えそうですが、麹町六丁目から二番町へ行く谷を「地獄谷」といったそうです。江戸時代には低湿地で暫罪場などがあり骸骨が打ち捨てられていたような場所だったとされます
麹町に住んではいけない理由
- 麹町は骸骨がごろごろ転がっているような場所だった。
日比谷
東京都千代田区の南東都に位置する日比谷は、日比谷公園や日比谷通りなどがあるエリアです。
日比谷の地名の由来ですが、日比谷は「日比谷入江」と呼ばれる東京湾の入り江で漁民たちが海苔や魚を採るために「ひび」と呼ばれる行の枝を海中に立てていたことから地名がついたとされています。
徳川家康の江戸入府後、この入江は埋め立てられ、大名屋敷が立ち並ぶ土地となった明治時代には陸軍の兵場として利用されその後、1903年に同比谷公園として開園しました。
そんな日比谷ですが、日比谷公園にまつわる心霊現象の噂があるそうです。例えば、園内の噴水近くで不審な影や声を聞いたというな体験や、日比谷公園内にある池である心地や雲形地などの池でも不思議な体験をしたと噂があります。
現在ではオフィス街や商業施設が立ち並び、多くの人々が行き交う活気ある地域となっている日比谷ですが、日比谷には多くの地下施設やトンネルがあるという都市伝説も聞かれます。
日比谷に住んではいけない理由
- 日比谷公園にまつわる心霊現象の噂。
- 日比谷入江という漁場で海抜が低い土地だった。
荻窪
荻窪の荻は、湿地に育つイネ科の植物を意味します。そして、窪は窪地を表しているといわれますが、荻窪の窪は窪地ではあるものの、荻窪は、「武蔵野台地」上の中央部に位置しているため、地盤も悪くはないと思われます。
特に、南荻窪は、荻窪駅から徒歩10分程度の高台になり住むにもいいといわれている場所です。
- 荻窪は湿地帯であったため水害リスクがある。
保木間
崖や山腹の険しい場所を表す「保木」という漢字がつく地名。
「間」は場所を示す接尾語的に使われる字です。東京の最北端で、昔は海に面していた低湿地帯。足立区保木間一丁目~五丁目、西保木間一~四丁目、東保木間一・二丁目にあたる一帯を指します。
保木間に住んではいけない理由
- 足立区が全体が低湿地帯。
- 「ホキ」という字が崖などの状態の悪い土地。
牛込
古い時代に牛の牧場があり、牛が多くいた地域。「込」は多く集まるという意味を表すそう。
本来、牛の字は、「憂し」に由来し地すべり崩壊地とされる場所が多いが、牛込は単に牛が多くいた地域だった可能性が高く、災害地名とは言い難い。
落合
落合は、神田川と妙正寺川が合流する地点で、川と川が合流する「落ち合う」が地名の由来になっているそうです。江戸時代は上流部分を上落合村、下流部分を下落合村と言ってたそうです。一方で、下落合の目白と近いエリアは高級住宅街としても知られています。
落合に住んではいけない理由
- 川と川が合流する地点は地盤が心配
笹塚
笹塚には牛窪地蔵尊いう場所があります。歴史を辿ると、「牛裂きの刑」という両手足をそれぞれ縛り二頭の牛が両方向から引っ張り肉体を裂くという処刑を行っていた場所なのです。
今でも笹塚では牛窪地蔵尊周辺はやばいといわれています。実際に、その周辺ではなぜか事件や事故があり、笹塚という土地が怖い場所といわれる所以です。
実際に牛窪地蔵尊の周辺では心霊体験なども報告があるため、その周辺に住むことはおすすめできません。
笹塚に住んではいけない理由
- 牛窪地蔵尊周辺がよくないとされる。
- 「塚」というお墓が関係する地名がつく。
豊洲
関東大震災のがれきの山の処理のために造られた土地が豊洲です。関東大震災後、当初は「5号地」という場所で、現在の豊洲とはイメージが違う場所でした。1937(昭和12)年に「豊洲」と正式に命名され、現在では高層マンションが立ち並ぶ街に変貌を遂げています。
豊洲に住んではいけない理由
- 関東大震災のがれきの山の土地
- 江東区が災害に弱い地域
三河島
東日暮里3丁目付近の土地の歴史を探ると、三河島事故という鉄道史上最も有名な事故があった地域という歴史があります。
この事故によって、車両から脱出して近くの三河島駅を目指して線路を歩いていた人含めて、160人が犠牲になったそうです。そのため、現在は三河島事故現場になった周辺では心霊などの情報があるとされます。
また、三河島の土地の由来をみていくと、中川・古利根川・荒川の3つの河川に囲まれた島状の中州だった土地からきているそうで、地盤が弱く水害リスクが高い地域にあたると考えられます。
三河島に住んではいけない理由
- 土地の由来から軟弱地盤の可能性。
- 鉄道事故で有名な地域。
自由が丘
自由が丘駅はもともと九品仏駅という地名でした。昔は、九品仏川という川が流れていたので、その川から由来して九品仏駅という地名がついたそうです。その後、自由民権運動が流行語になった時代に、自由が丘に変更された歴史があります。
また、「自由ヶ丘学園」の周辺は高台にあり安全とされますが、自由が丘の駅の周辺は水田地帯でした。そして、隣駅の奥沢に向かうほど丘になっていて、自由が丘駅に近づくほど低地になります。
自由が丘に住んではいけない理由
- 自由が丘駅の周辺は低地。
- 九品仏川という川が流れていた地域。
駒込
駒込は「転-こ」と「間-ま」を組み合わせた転間(こま)という地名から由来します。
谷底のため地震や水害に弱い地域とされます。山手線の中でも洪水が発生しやすい地域で、2017年のゲリラ豪雨の影響で駅が影響を受けて屋根が粉々になる被害がありました。
駒込に住んではいけない理由
- 駒込は水害に弱い地域
- 駒込は川に囲まれた谷や低湿地
錦糸町
東京都墨田区に位置する繁華街「錦糸町」は、総武線や東京メトロ半蔵門線が交差する交通の要所です。
錦糸町の地名の由来は、江戸時代に存在した「錦糸堀」と呼ぼれる堀に遡ります。錦糸堀は、現在の錦糸町駅周辺に位置し物資の運搬や排水路として利用されていました。また、錦糸堀は「本所と不思議」の一つ、置行堀の舞台としても知られています。置行堀とは、江戸時代、本所地域で語られた怪談の一つです。
釣り人が堀で魚を釣り、帰ろうとすると堀の中から「置いていけ」という不気味な声が聞こえ怖くなって魚を置いて逃げ帰ると魚籠の中の魚が消えていたという話です。ちなみに、置行堀の場所は定かではなく、錦糸町駅周辺にあった「錦糸堀」または、「第三亀戸中学校」が該当するのではないかといわれているそうです。
また、錦糸町周辺には他にも、送り提灯や狸囃子などの怪談も伝わっており、錦糸町は現代の振やかな街並みの中に江戸時代の怪談や伝家が息づく地域です。
一方で、本所は特にハイソ(上品)な地域でもあったとされます。本所とは、現在の東京都墨田区の南部、すなわち両国、錦糸町、駒形、業平らを併せた一帯をいうそう。
また、錦糸町駅周辺は標高が約13メートルと低い地域なので、水害などの心配がある土地とされています。それ以外では、暮らしにも便利で住みやすい街なので、気にならない人は住んでもよい街ともいえそうです。
錦糸町に住んではいけない理由
- 怪談話が多い地域。
- 標高が約13メートルと低い地域。
浮間
東京都北区の北端に位置する地域「浮間」は、浮間船渡駅が最寄り駅です。周辺は住宅地や公園が広がり、穏やかな雰囲気を持つエリアです。
浮間の地名の由来ですが、流川の度重なる流路変化によって形成された「浮島」が転化して「浮間になったという説や、蛇行していた荒川の流路が自然と切れて直線となったことがあり、島状に見えたことから「浮島」と呼ばれ、それがいつしか「浮間」になったという説などがあります。
浮間の地形は、荒川の流路変更や氾濫によって形成されたと考えられ、その名も川の変遷と深く結びついています。現在、浮間公園にある浮間ヶ池は荒川の一部を残したものであり当時の面影を今に伝えているのがわかります。
昔の荒川は、度重なる氾濫と流路の変化で知られ、周辺地域に大きな影響を及ぼしてきました。特に、1910年(明治43年)の大決水被害の後、1911年から24年にかけて人工的な排水路が建設され、これが荒川放水路となりました。
つまり、浮間の地形は急川の流路変更や氾濫によって形成されたと考えられ、地名も川の変遷と結びついているのがわかります。浮間は住みやすい地域として知られていますが、実際の土地の歴史を知ると、浮間の周辺は水害リスクが高い場所というのが想像できるでしょう。
浮間に住んではいけない理由
- 荒川が氾濫した場合、浮間地区は全域が浸水する。
南品川
南品川は、南品川一丁目から南品川六丁目を指す。東海道沿いには、鈴ヶ森刑場があり、南品川も穢多非人の居住区とされてきた歴史があります。南品川は、現在の青物横丁駅付近に品川溜という非人溜(ひにんだまり)があり、江戸時代において、病気になった囚人などを保護する施設だったとのこと。
つまりそこで亡くなる人も多かった土地であると推測できるため、土地の怨念は残るかもしれません。ちなみに、東京の非人溜(ひにんだまり)はどこかといえば、浅草と品川の二箇所が有名だったそうです。一方で、品川の北川である北品川は大名の宿泊する本陣や高級料亭が立ち並んでいたそう。同じ品川というエリアでも少し場所が違うとこうも違うようです。
南品川に住んではいけない理由
- 青物横丁駅付近に品川溜という非人溜があった。
- 穢多非人の居住区。
六本木
まず、六本木の土地の歴史ですが、六本木の地名の由来には主に二つの説があります。
一つ目は、かつてこの地に「六本の松の大木が存在した」というもの。二つ目は、江戸時代、この地域に「青木」「一柳」「上杉」「片桐」「村木」「高木」といった「木」の字を含む天名の屋敷が集まっていたことにより、「六本木」と名付けられたという説です。
また、六本木の象徴ともいえる六本木ヒルズの66プラザに設置された巨大な蜘蛛のオブジェ「ママン」は魔除け的な意味合いを持ち、風水的には土地の悪いエネルギーを封じるためのものだといわれています。
それでも、悪い地霊の力を完全には抑えきれず、時折事故や事件が発生するようです。また、六本木トンネルは心霊スポットとして知られ通行時に違和感を覚える人もいるそう。これらのことにより、六本木ヒルズ周辺の土地が特によくないとされます。
一方で、六本木という土地は、昔、華族の屋敷があったとされるため、高級住宅街だった歴史があります。そのため、現代にも六本木の土地はお金持ちが集まる印象があります。その反対に、明治時代は、陸軍の歩兵一連隊と三連隊が置かれてから、兵隊の暮らす町として発展した歴史があるため、現在、黒人や海外の人は多いのには、それらの歴史から読み取れます。
六本木は土地としては非常によいのですが、六本木ヒルズ近辺は風水的にもよくないため、住んではいけない地域といえば、当てはまる地域もあると思います。
六本木に住んではいけない理由
- 六本木ヒルズの風水が最悪
- 六本木はかつて軍隊の町だった歴史がある
麻布十番
麻布十番駅周辺は「後背低地」の土地で排水性が悪いので水害には注意が必要です。また、地震などで地盤沈下の危険性も高いエリアです。また地名の由来にもつながら麻布という漢字は死●を覆う布を麻で作っていたことからついた可能性があります。
また、再開発エリアで観光名所である麻布台ヒルズがある周辺は、我善坊谷(がぜんぼうだに)という忌み地でした。我善坊谷は火葬をする場所で、人がやりたくない仕事をする人々が住む場所でした。
このように麻布十番の現在のイメージとは異なる土地の歴史があるため、風水的にも土地の地盤なども含めて住むにはよくない土地といわれることもあります。
麻布十番に住んではいけない理由
- 地盤沈下の危険性が高い土地
- 死●を包む麻の布の産地となった場所
四谷
東京都新宿区に位置する地域「四谷」は、江戸時代から続く街で、地名の由来には諸説あります。「四谷」は、千日谷、茗荷谷、千駄ヶ谷、大上谷という四つの合があったことからと名付けられたとする説。もう一つは、梅屋、木屋、茶屋、布屋という四新の茶屋が存在し、それが転じて「四ツ家」そこから、「四谷」なったという説です。
四谷は、江戸時代には江戸城外堀西側の広大なエリアを指す地名であり、1878年から1947年までは四谷区という区名でした。四谷の地が怖いとされる理由としては、江戸時代後期の1825年に「四代目鶴屋南北」が執筆した歌舞伎「東海道四谷怪談」を見ればわかるとされます。
この物語は、浪人「田宮伊右衛門」が妻のお岩を裏切り、彼女が無念の死を遂げた後に出霊となって、田宮伊右衛門に復響するという内容でした。今では、日本三大怪談の一つ「四谷怪談」として知られています。四谷怪談は、初演以来、多くの映画などで取り上げられたことで、現代のホラー文化にも影響を与えているそうです。
そして、舞台が四谷であったことから四谷という地名には不気味な印象がつきまとっているとされます。現在でも、四谷にはお岩稲荷田宮神社など「四谷怪談」にゆかりのある場所が存在するなど、歴史的な背景と相まって、独特の雰囲気を醸し出しています。こうした背景を知っていると四谷に住みたくないという人もいるかもしれません。
四谷に住んではいけない理由
- 「谷」は災害地名。
- 四谷怪談を知っている人はそのイメージが定着している。
両国橋
墨田区と中央区を結ぶ開囲川に楽かる橋「両国橋」は、江戸時代から多くの人々に利用されてきました。一方で、両国橋の周辺は、歴史的な出来事や怪談の舞台として知られています。1657年、江戸を襲った明暦の大火(振袖火事)では隅田川に橋がなかったことで、多くの人々が川を渡れず犠牲となったのです。その悲制を受け、避難経路の確保を自的として両国橋が作られたそうです。
また、両国橋周辺は錦糸町と同じく「本所七不思議」と呼ばれる江戸時代頃から伝承される怪談の舞台でもあります。例えば、「馬鹿囃子」は夜中にどこからともなく「祭囃子」が聞こえてくるが、昔の方向に向かっても一向に近づけないという話。他にも、「送り拍子木」「送り提灯」など奇妙な現象が数多く伝えられている
さらに、両国橋の東詰に位置する回向院は明暦の大火で亡くなった多くの無録山を供養するために建立された院だとされます。回向院の周辺には、かつて処刑場が存在していたとも言われており、小塚原へその後、移転したとも言われています。
古地図では、両国橋を渡ってすぐ右側あたりではないかといわれております。処刑場が周辺にあった土地はきわめて不吉な土地とされることが多いため、歴史的背景を考えると両国橋は不気味な印象あります。
両国橋に住んではいけない理由
- 明暦の大火で多くの犠牲者が周辺でいたこと。
- 本所七不思議の怪談の舞台。
- 回向院の周辺に処刑場が存在した可能性あり
南千住
東京都荒川区南千住に「小塚原」という場所がありました。江戸時代から明治初期にかけて「小塚原刑場」として知られていた土地です。南千住が忌み地といわれるのは「小塚原刑場跡」があるためです。
ここは、江戸の三大刑場の一つとして 多くの罪人が処刑された歴史を持つ地域でもあります。1651年に千住大橋南側の小塚原町に設立され、当初は「小塚原町」として知られていましたが、1660年に千住宿に編入されています。
北の小塚原刑場と、南の鈴ケ茶刑場(現在の品川区南大井)は江戸時代には、「二大刑場」として知られており、今でも歴史を振り返れば、南千住のイメージはよくはありません。
小塚原刑場では、際、火、呉首(教問)などの刑罰が執行され特に腑分け(解剖)が行われる場所だったそうです。江戸時代から明治初期にかけて多くの人が処刑された場所です。そのため、小塚原刑場跡では、さまざまな怪奇現象が起こると噂されていて、様々な幽霊が出るという噂もあります。
現在でも、当時の悲惨な出来事を伝える史跡が残されており、訪れる人々に過去の出来事を思い出させる土地です。
南千住に住んではいけない理由
- 南千住は忌み地のイメージ。
- 南千住はドヤ街「山谷」が近い。
- 南千住は駅近くに小塚原刑場の跡地がある。
吉原
吉原は遊郭として知られる大人の街ですが、土地の由来は、ヨシの生い茂る低湿地からきています。
他には、遊廓の開拓者でとして知られる、庄司甚内の出身地が東海道の吉原宿だったことから名付けられたともいわれ、さらに、明暦の大火をきっかけに現在の土地が吉原になったとされてます。
吉原という土地は不吉な土地なのか、大正15年の関東大震災では、吉原神社の境内に避難してきた多くの人々が火災の渦に巻き込まれて亡くなったいるそうです。
現代でも、たびたび女性が事件にあうなど住むにはよくない土地だとされています。
吉原に住んではいけない理由
- 吉原は葭や茅が生い茂る湿地帯の土地。
- 吉原は事件が数年起きに起こる土地。
蒲田
蒲田は、もともと沼地で泥深い田であった場所です。溝を掘って乾燥地にした「蒲池」から転じて、「蒲田」になったといわれたり、武蔵江戸氏という御家人の一族の蒲田氏という人物に由来するともいわれる。多摩川が近く氾濫・洪水リスクが考えられる土地です。
- 多摩川下流~河口部に広がる多摩川低地は標高が低い
- 昔から侵食を受けやすく水がたまりやすい土地。
戸越公園
蛇窪駅という旧地名がある通り、「蛇」が付く地名はよくないとされます。蛇のような荒々しい災害などを意味する地名らしく、一般的な蛇の縁起の良さとは異なる点に注意が必要です。
しかし、「蛇窪」という地名ですが、南側を立会川、北西から西側を品川用水が流れていた程度で、急な川の流れがあったとははっきりとわからず、昔の史料によれば「我国民性ノ蛇ヲ嫌忌スル感情」が由来とされ、災害とは違うなにかが原因でつけられた可能性が高い地域です。
一方、都内の「白蛇日本三大聖地」の神社「蛇窪神社」は金運アップで有名。
- 「蛇」が付く地名はよくない
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東京23区外のエリア
東京の23区外の住んではいけないエリアをご紹介します。
調布
多摩川が近い湿地帯。もともと、調布の地名の由来は、布を川で調えて献上したことから来ているそうです。つまり、川が近く地盤が柔らかい土地でもあります。湿田(ふだ)という地名が災害地名と言われますが、調布の地名の由来を辿ると、災害地名だということがわかります。実際に、調布に布田という地名がある通りです。
- 湿田(ふだ)という地名が災害地名で、調布に布田という地名がある。
狛江
狛江の狛は駒のように、曲流する入江のことを表す。過去には多摩川が決壊していて、水害にあった歴史があるそうです。
八丈島
八丈島は、東京都心から南へ約287kmに位置する島で観光地として知られています。
しかし、歴史を辿ると暗い側面も見受けれます。江戸時代、八丈島は流刑地として利用されており、多くの罪人がこの地に送られていたのです。有名な話として伝わるのが、関ヶ原の戦いで徳川家康と戦った宇喜多秀家は、1606年に八丈島へ流罪となり生涯の半分以上をこの島で過ごしたとされます。
流刑地としての歴史から、八丈島には多くの悲劇的な出来事が起こったとされ「不気味」な言い伝えにより、住むには向かない土地とされます。島内には、心霊スポットとされる場所も存在しているため、様々な心霊話が聞かれます。
特に、八丈島の火葬場で1994年に起こった、未解決の怪事件があります。この事件は、無断で焼かれた7体分の人骨が発見されるという未解決の怪事件です。今でもこの事件は謎とされているようです。そのため、八丈島は「不気味な地名」として語られることが多いそうです。
八丈島に住んではいけない理由
- 八丈島は江戸時代には流刑地だった。
- 八丈島の火葬場で未解決の怪事件が発生。
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引越し前に住んではいけない地域を調べましょう!

本記事では、東京23区の中で住んではいけないと噂される地域を紹介しました。実際には、東京の土地は限られているため、過去の土地の歴史は気にしないという人も多くいると思います。
しかし、風水でみると土地が悪い地域に住んでいる人と土地がいい地域に住んでいる人では、人間の人生に及ぼす影響が強いそうです。実際に、お金持ちが住んでいる土地には共通点があったり、逆に運がなかったり仕事に恵まれなかったりする人も同じような地域に住む傾向があるとも言われます。
筆者もこの記事を執筆する中で、過去に住んだことある土地を調べると、少しばかりよくない時期には良くない土地に住んでいた気もします。この記事がお役に立てれば幸いです。
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